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2008年03月 アーカイブ

2008年03月28日

突厥の宗主権下

これは実習に役に立ちそうです。
予習復習いたしましょう

突厥の宗主権下で、6世紀頃より台頭した。7世紀半ばに突厥の衰退にともなって独立を果たした。『旧唐書』などに出てくる康国(サマルカンド周辺)に北隣する「突厥可薩部」がこの「ハザール」のことと考えられている。10世紀のペルシア語の地理書『世界境域誌』(?udūd al-'Ālam)に書かれているハザル人たちの諸都市の項目(首都イティル(アーティル ??? Ātil)の条)によれば、ハザールのハーカーン(後述)は「アンサーの子孫に属す( ?? ??????? ???? ??? az farzandān-i Ansā' ast)」と書かれており、この「アンサー」とは突厥王家である阿史那氏の訛音ではないかとも言われている。

突厥帝国の内紛に乗じて635年にブルガールが独立し、ハザールも程なくして独立したと見られている。653年にブルガール国を滅ぼす一方で、新興のイスラーム勢力と対立を続け、730年にブラン・カガンがユダヤ教に改宗し、カフカスを超えてアルメニア侵入ののちアルダビールまで占領した。イスラエル起源でもないハザールがなぜユダヤ教を受容したのかについては定説はないが、イスラーム帝国および東ローマ帝国(ビザンツ帝国)というイスラーム教・キリスト教の大国と隣接していたことと関連性があるのではないか(両国から敵視されない宗教を選んだ)とも言われている。なお、ハザールと東ローマ皇帝ユスティニアノス2世、コンスタンティノス5世は通婚している。

しかし、735年にウマイヤ朝カリフ・ヒシャームは従兄弟のマルワーン・ブン・ムハンマドを派遣し、麾下のウマイヤ朝軍1万5千は逆にヴォルガ河畔まで進撃した。これに窮したカガンは司令官マルワーンに和睦を申し入れ、イスラームに改宗を約束した。この遠征を受けてハザールはウマイヤ朝カリフの宗主権を一時認めさせられた。まもなくアッバース革命に前後するイスラーム帝国内部の混乱を機に独立を回復させると、799年にオバデア・カガンは再びユダヤ教を公的に受容し、またヴォルガ川の河口付近に首都イティル(アティル)を建設した。こうして9世紀までに、ハザルの支配者層はユダヤ教を受容したが、住民はイスラム教徒が多かったと考えられている。9世紀後半より衰え、都のイティルをキエフ・ルーシ(キエフ大公国)のスヴャトスラフ大公に攻撃され、国家は解体へむかった。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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